本屋に並ぶ「こうすれば成功する」「大失敗から大逆転した話」みたいな本、タイトルだけはやたらと夢を感じますよね。
でも読んでみると、「んん?」っとなってモヤモヤすることありませんか?「どこが逆境?それただの寄り道じゃない?」と思ってしまうこと、多いと思います。
例えば「起業に失敗して借金を抱えました」って言うけど、その人の背景をよく見てみると、実家は裕福で高学歴だし人脈も豊富。「そもそもやり直せる土台が整っているじゃないですか!」と突っ込みたくなりますよね。
いや、それって本当に普通の人が参考にできる話なのでしょうか?と疑問が湧いてしまいます。
もくじ
成功者の「失敗ストーリー」でありがちなパターン
成功者が語る「逆境からのサクセスストーリー」は、よくよく見ると似たようなパターンが多いです。具体的には、以下のような構図がよく見受けられます。
- 裕福な実家で育つ
「家庭環境は普通です」と言いつつ、実際には家族全員が高学歴・高収入。中には「うちはそんなに裕福じゃなかった」と言う人もいますが、聞いてみると一般家庭の平均年収を軽く超えていたりします。 - 失敗しても下地がしっかりしている
起業に失敗しても、再挑戦するための資金を親や知人から借りられる。学歴や経歴があるため、失敗後でも転職や再挑戦が容易です。「それって本当に失敗と呼べるんですか?」と思ってしまいます。 - 人脈やネットワークが豊富
「友人の紹介でこの会社に入社して…」「信頼できるパートナーに出会って…」という話がよく出てきますが、それって普通の人が簡単に持てるものではないですよね。そもそものスタート地点から違いすぎます。
こうした背景を持たない人にとって、これらのストーリーは現実味がありません。環境に恵まれた人たちが語る「誰でも成功できる」という言葉は、特定の条件を前提にしているように感じられます。
共感できないのは当然?
おそらく、多くの人がこういった成功話に共感できないのは、スタートラインがあまりに違うからです。「誰でも成功できます!」と言われても、「その『誰でも』に私は含まれていないんですけど…」と感じる瞬間があると思います。
例えば、筆者の家は経済状況としては普通よりも下の方で、友人たちの父親一人が稼ぐ年収に、両親二人で働いても届かないくらいでした。そのため、周りと同じことをしたりすることも、新しく挑戦しようとすることもかなり難しく、子供ながらに何度も悔しい思いをしたことを覚えています。
こうした状況では、一般的な成功論が遠い世界の話のように思えてしまうのも無理はありません。
成功話を読むたびに感じるモヤモヤ
成功者たちが語るストーリーは、聞いていて希望を与えてくれる一方で、「それ、本当に私たちと同じ条件で話していますか?」という疑問が拭えません。スタート地点が違いすぎる人の話を参考にすることは、現実的には難しいと感じます。
そして、こうした違和感を抱いていると、「じゃあ自分が同じように頑張っても、結局こうはなれないよな」と冷めた気持ちになることもあります。
もちろん、成功者たちが努力していないというわけではありません。ただ、その努力の仕方や環境が、あまりに一般的な状況とはかけ離れていると、モヤモヤが募るのも無理はないのではないでしょうか。
「努力すれば成功する」の言葉の裏側
「努力すれば成功する」という言葉は確かに力強く、夢があります。でも、その裏にはどうしても覆い隠せない前提条件の違いが存在しています。誰もが同じ条件で挑戦できるわけではない以上、成功話に共感できないのは自然なことだと思います。
環境が整っていない人にとって、成功本の言葉は時に残酷に感じられることもあります。それは努力を否定されているわけではなく、スタートラインが異なることで感じる壁が大きいからではないでしょうか。
成功話に感じる違和感を大切に
成功者たちが語るストーリーを全否定するつもりはありません。ただ、それを読んで「自分も同じようにできる」と思えるかどうかは別問題です。そして、共感できないことを「自分の努力が足りないせいだ」と責める必要もありません。
モヤモヤしながら成功話を読む中で、自分と彼らとの間にあるギャップに気づくことは、それ自体が一つの学びなのかもしれません。そのギャップを見つめることで、「成功とは何か」を自分なりに考えるきっかけが生まれるのではないでしょうか。
筆者自身、このギャップを埋めるのは簡単ではないと感じています。それでも、こうした違和感を抱えながら少しずつ進んでいくしかないのかもしれません。成功本を読んで感じるモヤモヤも、人生の中で大切な一部だと思えるようになりました。